「田子の浦に うち出でて見れば 白妙の 富士の高嶺に 雪はふりつつ」 お正月の風物詩、百人一首に登場する富士山を謳った歌人山部赤人の一句です。日本一、いや世界一の美しさを誇る霊峰富士山を見上げ五十年、昭和33年より石と向かい合い続けてきたのが、今回ご紹介する内田石材様です。
内田社長との出会いは2005年の暮れ、ある会合にてお会いしました。出会った当初より感じていた私見ですが、いつもお会いするたびに鳩山首相を想い浮かべてしまいます。やさしい風貌に似合わず、決断力の速さにはいつも助けられております。
出会った当日もワンハート・ストーンを見るなり、「近くのお寺さんに紹介してみます」と、名刺交換も終わらぬうちに、提案していただいたのには大変驚きました。先見の明を持ち合わせていたということでしょう。
「わらべ地蔵の石や」と謳われておられる通り、奈良県の真言宗極楽寺のご住職の提案をもとにわらべ地蔵を製作・販売されておられます。お地蔵さんはお釈迦さまが亡くなられた後、56億7000万年後に弥勒菩薩が出現するまでの間の、この現世に仏様がいない期間、私たちを救ってくださる身近な菩薩さまです。